世界中、どこを歩いても、生活のあるところにはまず火がある。
鶴岡市にオオトリという集落がある。
初めてこの場所を訪れたとき、栃の実の灰汁抜きをする女性に出会った。
この作品は彼女の手で調理されていく食材を描いている。
栃の実やねまがり竹、庭で丹念に育てられた小豆、透き通った黄金色のあくまき。
鍋、刳もの、ざるやむしろの中では、生では食べられないものが食べられるものへと生まれ変わろうとしている。
滞在中、彼女に栃餅の作り方を教わった。工程には時間と手間を要する。実の
乾燥具合、灰を入れる塩梅も熟練の勘と経験が必要である。驚いたのは、灰汁抜
きに使う灰は、栃の殻を燃やしてつくっていたという話だ。それにより質の良い
灰ができる。無駄のない循環と利用。実に灰を流し込むその瞬間がとても美しい。
注ぎ込まれる勢いからは“食”を超えた想像力をめぐらせられる。
長い工程を経て灰汁抜きした栃の実は、餅とあわせ、“とちもち”にする。餡を
包んで大福のようにしたり、おしるこにする。独特のえぐみが癖になって美味し
い。堅果類は食べると野生の味がして、力が湧いてくる。
栃は、米や餅が手に入らない時代、粟や稗と混ぜて、生き延びるための“かても
の”にした。そんな栃の実も、飽食の現代においてはこれまでの役割を終え、雪
深い大鳥のような一部の地域にひっそりと残っている。その方法を知る人は減っ
ていくばかり。消えてしまうことを寂しく思いながらも、果たして受け継いでい
く必要はあるのかと考えさせられる。
それでも一つ一つの行為が訴えかけてくる。利便性を追求する日々の生活を見つ
め直すように。もしかすると必要となる日はすぐそこにあるのかもしれない。
自然と直接的に関係性を持ちながら食べ物を手に入れ、そこにもとからあるも
のを無駄なく使用し、食べられるものへと変換させる。彼女の行為は、山奥でそ
っとつつましく行われている。それでいて頼もしく、力強い。雪深いこの地で暮
らす人たちは、ぐるぐるとまわる四季のサイクルをひとつひとつ感じ取りながら
生活している。